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中国名言と株式紀行(小林 章)

第84回 四000年を学ぶ中国名言/「虎、虎、虎」

『苛政は虎よりも猛し(苛政猛於虎)』
                                    出典【『礼記』檀弓篇】
[要旨]民衆にとって、苛酷な政治の害悪は人食い虎の害よりも甚(はなは)だしいこと。
中国春秋時代末期の「苛政」とは苛酷な重税とその容赦ない取り立て、更には度重なる築城や河川改修など大型公共土木工事への徴用や国境辺地への警備や軍事行動のための兵役などを意味します。
この時代に孔子は生国魯を飛び出し諸国遍歴をしていて、苛酷な現実を随行する弟子の子路と共に目の当たりにすることとなります。
話はこうです。孔子一行が、現在の山東省の泰山の麓で墓に取りすがって泣いている夫人を見かけます。子路に訳を聞かせに行かせてみると「以前に舅(しゅうと)と夫が虎に食い殺され、今また我が子が食い殺されたのです」と言います。そこで孔子は尋ねます。「では、何故こんな危険な土地に住み続けるのですか」夫人は「ここには苛政が無いからです」と答えました。孔子はそれを聞いて「苛政は虎よりも苛酷なものなのだ」と感嘆の声を上げます。弟子の子路に「このことをよく覚えておくように」と言ったといわれています。
「苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)」という言葉がありますが、まさに上記の重税による厳しい取り立てや過酷な夫役のことをいいますが、現在では意味は限定され、税務署や闇金のお仕事、もっぱら税金や借金などを容赦なく厳しく取り立てることを言うようになっています。

邱永漢著『ダメな時代のお金の助け方』という、本人いうところの「溺れかかったお金の救急法」を説いた本があります。読んだ方はお分かりになるでしょうが、その本の中に「宝の山には虎も住んでいる」という一文があります。実は同じ表題の文章が『中国株の基礎知識』の最終項にもありますが、邱先生はこの表現に思い入れがあったものと思われます。前掲書では「宝の山は必ずどこかにある。しかし、そこには虎が住んでいる」と始まる文章です。一読をお薦めします。
中国の山に住む虎とはどんな虎なのでしょうか。トラ(虎、Panthera tigris)は、哺乳綱ネコ目(食肉目)ネコ科ヒョウ属に分類される食肉類ですが、現在5亜種が生息されるといわれています。
中国には、そのうち3亜種の虎が住んでいるといわれています。まず、ベンガルトラです。生息地は中国南部、ネパール、バングラデシュ、ブータン、ミャンマーです。次が、シベリアトラで、生息地は中国北東部、ロシア(ウスリー東部)です。最後が「アモイトラ」ですが、この虎の野生に現存する姿は現在確認されておらず、既に絶滅種となってしまったのではないかと推測されています。その特徴は別の資料には「体毛が短く赤茶色で、縞は細く数が多く、2本ずつたばになっているなど、スマトラトラ(P.t.sumatrae)やジャワトラ(P.t.sondaica)に似るが、体色は鮮やかで、体の腹面は純白色である。このほか、背が黒ずみ、橙色を帯びた暗い赤土色で、腹面が白く、縞が細く茶色のものが多いカスピトラ(P.t.virgata)、体毛がやや長く、縞の幅が広いマレートラ(P.t.corbetti)とアモイトラ(P.t.amoyensis)がある」とされます。ですから、アモイトラは現存するスマトラトラやマレートラに近い種のようです。ちなみに、ジャワトラとカスピトラも現在では絶滅種です。しかし、アモイトラは幸いなことに、世界中の動物園で300頭ほど飼育生息しているそうです。
孔子一行が山東省の泰山の麓辺りで話に聞いた虎とは、推測するとこの「アモイトラ」だったのかも知れません。

中国に虎の使用された言葉や諺も多くあります。ネットの辞書を見ると次のような用法が載っていました。面白かったので、少々長くなりますが転記しておきます。
「虎に翼」(ただでさえ強い者が更に威力をつけること。出典:『韓非子・難勢』。「為虎添翼」も同じ)
「虎を野に放つ」(危険なものを放置すること。また、禍いの元となることを絶つことを怠り、後に起こる大事の原因を作ってしまうこと。出典:『後漢書・馬援伝』)
「虎の尾を踏む」(虎の尾を踏めば、ただでは済まない。非常な危険を冒すこと。「虎の鬣(たてがみ)を捻る」も同じ。出典:『易経・履卦』)
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」(大きな成果や利得を望むなら、大きな危険は避けてはいられないこと。貴重な虎の子が欲しければ、怖ろしい虎の棲む穴に挑まなければ手に入れることは叶わない。出典:『後漢書・班超伝』)
「虎視眈々(こしたんたん)」(虎が獲物を狙って身構え、鋭く見詰めている様子。転じて、静かに機会をうかがい、隙があれば付け入ろうとしている様子を言う。出典:『易経・頤』)
「前門の虎、後門の狼」(一つの禍いを逃れても、さらにまた他の禍に遭うこと。出典:趙弼『評史』)
「虎の子渡し」(物事が人の手を次々に経てゆく複雑で迂遠な工程の喩え。転じて、ある物を支払うために別の物の支払いを見送ることを次々と繰り返すさまから、生計が苦しく四苦八苦すること。虎が3匹の子を生むと、そのうちの1匹は必ずどう猛な「彪(ひょう)」になって、親が目を離した隙に他の2匹を喰ってしまうと考えられていた。そうした虎の親子が川を渡る際には、まず親虎が彪をくわえて対岸に渡り、彪をそこに残して単身元の岸に戻り、次に2匹の子虎のうちの1匹をくわえて対岸に渡り、その1匹を対岸に残し彪をくわえて元の岸に戻り、彪を元の岸に残しもう1匹の小虎をくわえて対岸に渡り、2匹の小虎を対岸に残して単身元の岸に戻り、最後に彪をくわえて対岸に渡るという、3往復半の手間を要したという故事から。出典:周密撰『癸辛雑識・続集下』)
「虎の威を借る狐」(実力者の威光を借りていばること。出典:『戦国策・楚策』)
「虎は千里往って千里還る」(勢いが盛んな様子。虎は一日の間に千里の道を行き、また戻ってくることができると考えられていたことに由来する。出典:『荀子・勧学』)
「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」(虎は死後に立派な毛皮を残す。人が残せるのは名誉と功績であるから、それらを重んじて生きなければならない。出典:欧陽脩『王彦章画像記』)

中国語口語でも「馬虎」(油断する、いい加減だ、ルーズだ)や「馬馬虎虎」(いい加減だ、まあまあというところだ、どうにかいけそうだ)、また「逃出虎口」「虎視眈々」「虎頭蛇尾(竜頭蛇尾)」「不入虎穴,焉得虎子」など日常会話でもよく出てきます。

企業やスポーツチームの快進撃の続くことをよく「騎虎の勢い」と言ったりしますが、用法的には間違いです。
辞書的には「虎に乗った者は途中で降りると虎に食われてしまうので降りられず、仕方なく最後まで走り続けなければならないように、やりかけた物事を、行きがかり上途中でやめることができなくなることのたとえ、勢いに乗ったり、弾みがついてしまったら途中ではやめにくいこと」です。出典は『隋書』(独孤皇后伝)に「大事すでに然り。騎獣の勢い、必ず下ることを得ず(大事の時だ。虎に乗って勢いよく走り出したら、もう下りることはできない、なお努力して下さい)」からで、騎虎とは獰猛な虎に乗ることです。「騎虎之勢」という表記は確かに中国語にありますが、中国語としては、これよりも「騎虎難下」がよく使われるようです。
邱永漢著『日本脱出のすすめ』のなかに「振り子はどちらにも行き過ぎる」という楽しい一文があります。「『騎虎の勢い』という言葉もあるように、一旦、走り出すと、山本リンダじゃないが、もうどうにもとまらなくなくなる」と書かれています。さすがに、途中で止めることができなくなると、正しい用法に則って記述されておられます。

日本では虎が生息しないので、もっぱら中国の書画の影響によってその存在が信じられてきました。一休和尚の屏風に描かれた虎退治や江戸時代の狩野派の虎の屏風絵などは中国書画の写しに過ぎませんでした。豊臣秀吉の朝鮮出兵中に加藤清正が虎狩りをした逸話もあるようですが、日本人は本当の虎の姿を明治維新以降になって初めて知ることとなったのです。
その中国・宋朝から清朝にかけて執筆された志異・志怪などを記した説話集、『太平広記』・『古今説海』・『唐人説薈』などに「人虎伝」として虎に変身する男の説話が収録されており、作家・中島敦は、『唐人説薈』中の「人虎伝」に取材して小説『山月記』を執筆して、郷里の秀才が人虎となり悲哀に満ちた告白をする姿をリアルに描出しています。

やはり中国人には虎は身近な猛獣であり、虎に関する表現も上記の如く多く、現在の生活のなかにももちろん生きています。
そこのところが、日本人にはわかりにくいところです。宝の山と虎の関係もやはり日本人にはリアリティがないでしょう。私は、邱先生が「宝の山は必ずどこかにある。しかし、そこには虎が住んでいる」と書かれたのを見た時、ギョッとしました。日本人が読めば、単なる寓意や分かりやすいものの喩えと感じられるでしょうが、中国人がこの文章を読むと、財産を為すこととリスクとの関係の近しいことを肌身に感じてしまうのではないかと思いました。賢い理財の問題は、つまるところ上手く虎を避けて宝の山へと近づく方法なのですから。
                                       42「虎、虎、虎」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/04/14