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中国名言と株式紀行(小林 章)

第66回 四000年を学ぶ中国名言/「余力の活かし方」

『行いて余力あらば、則ち以て文を学ばん(行有余力、則以学文)』
                                    出典【『論語』学而篇】
[要旨]机上の学習だけに生きてはいけない。実践あってこその学問だ。
「余」とは余力のこと。孔子は門人達に向かって次のように話す。
「若者たちよ、家庭に入れば両親に孝行を尽くし、家庭を出れば地域社会の年長者の言うことをよく聞き、言行は慎んで誠実さを守り、誰でも広く愛して人徳のある人格者とは親しくしなさい。これらの事を実行して余力があれば、そこで初めて書物を学ぶとよい」と。
すなわち、孔子は礼(古来から尊ばれてきた「しきたり」やその技法)を尊重して、行動を重んじなさいと言っているわけです。

行動や実践あっての、後の「余力」とは、どういうものでしょうか。

まず、行動や実践です。
世の成功者と呼ばれる人には、共通点があって、育ってきた環境やモノの考え方や仕事の内容も異なりますが、人から聞いたり見たり教わったりして、自分で「思ったことはすぐやる」という性格があるそうです。ひとたび納得したら、その瞬間に情報はその人の血となり肉となって、すぐに行動力が発動されるのです。走り始めれば、目標の実現に向かって、いつか追いつき、いつか追い越して、ゴールにたどり着けるのです。
あなたは、何か仕事や趣味でも、やる前には体調が悪く憂鬱で面倒くさくとも、渋々でもやり始めると、次第に興が乗って夢中になったという経験をお持ちではないでしょうか。
この現象には、ちゃんと理由があります。

ヒトの脳のほぼまんなかに左右一つづつに「則座核」という部位があります。
ここの神経細胞が活動すれば「やる気」が出るのです。しかし、やっかいなことにこの神経細胞はなかなか活動を始めてくれません。ある程度の刺激が与えられないと活動を開始しないのです。やり始めてから徐々に調子が出て、自己興奮してきて集中力が高まって、さらに気分が乗ってくるというわけです。
だから、やる気がないなぁと思っても、ヤリ始めてみないとダメだし、やり始める前にやる気がないのは当然なのです。心理用語では「作業興奮」と呼ばれています。興が乗ってくると脳が興奮してきて、作業に見合ったモードにシフトレバーが切り替わります。「則座核」は、活動が活発になると海馬と前頭葉に盛んに信号を送り、アセチルコリンやドーパミンという神経伝達物質を放出し、脳の興奮と活性化を促します。ですから、まず走り出すことが大事なのです。成功者は、経験的にそのことが成功体験と共に脳に刻み込まれているので反射的に行動が早いのです。今日のところは課題を持ち帰って、また後日検討などと、悠長な態度に耐えられないのです。

次に、余力です。
人の考えが行動に移されると、設定された目標は間違っていないのですが、現実には多くの障害が控えていて、上手くいかないことが発生します。人はその時、思い悩むわけです。
失敗かと疑心暗鬼になります。行動の方向性について、修正が求められる時期です。
この時が、余力の登場する丁度の頃合いとなります。何とか時間の遣り繰りをつけて、本を探し求めてむさぼり読み、先達や師にアドバイスを求めて千里の道のりも遠しと思いません。自ら求めて、先人の知恵を借りるわけです。
この場合の学習が効果大です。論語の冒頭の「學而時習之。不亦説乎。」という孔子の言葉に繋がるのではないでしょうか。学問とは、こうしたところから始まっているのではないかと感じます。無用な学問が、小馬鹿にされるのは、こうした訳があるからです。

「読書三余」(読書するのに最も都合のよい三つの余暇)があるそうです。『三国志』魏書・王粛伝に記されているそうです。「三余」とは冬(年の余り)、夜(日の余り)、雨の日(時の余り)の三つの余のことだそうです。勿論、そうした有余の時間が読書に最適ではあるでしょうが、くれぐれも脱線して「読書のための読書」に陥らないことが肝要と思われます。
                                    33「余力の活かし方」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/03/09