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中国名言と株式紀行(小林 章)

第56回 四000年を学ぶ中国名言/「マイナスをプラスに転じる」 

『迀を以て直と為し、患を以て利と為す(以迀為直、以患為利)』
                                    出典【『孫子』軍争篇】
[要旨]敵を油断させてその隙に機先を制し、自軍の不利な条件を強みに変えること。
「迀(う)」とは迂回路、回り道のことで遠回りすること。これを「直」つまり最短距離の直線で行くとは、遠回りがかえって近道になるという意味で、つまり諺にいう「急がば回れ」のことです。また「以患為利」とは、患(わずら)い、すなわち不利な条件や弱点を利(強み、長所)に変えることです。戦場で敵軍に比べて自軍の弱点を長所と見なし、同じことですが戦況をマイナスからプラスに転じることです。これが、戦いに勝つ為の孫子の説く兵法の一つ「迀直の計」のことです。

実際の戦闘で、難攻不落と思われる城郭やそれを有する大敵に、遠回りをして敵を油断させ、一気に責め立てる戦法のことを孫子は例にとって説明しているらしいのです。遠回りを近道とし、マイナスをプラスと転じることができなければ戦争には勝てない、などと真面目な顔で述べる兵法好きの評論家がいます。しかし、評論家といっても軍事作戦専門の評論家ではなく、経済の評論家さんだそうです。現代戦に於いては、まったく死物化してしまった戦法のことです。また、この戦法がなぜ経済の分野で生き残っているかというと、精々ものの喩えといった程度のことでしょう。一小企業が、マーケットを占有するガリバー企業相手に、ワザと遠回りして敵(巨大企業)を油断させて、一気に責め立てるですって。ちょっと想像してみて下さい。そんなヘナチョコな戦術など誰が相手にしてくれますか。
しかし、実をいえば、スポコン漫画で育った世代のひとりとして、巨大な敵や不利な状況を非常な努力や根性で跳ね返えそうとする姿には、無条件な郷愁を感じてしまいますが。

また、この戦術は、意味転じて、すぐには効果が出ないが、実は最も有効なやり方のことである、との評論家先生の解説が付いています。遠回りがかえって近道になり、弱点が逆に長所になると仰るのです。本当でしょうか。急がば回れ。弱き者、君の名は強き者のことなり、というような暗喩的なことでしょうか。たまたまそうだったみたいよ、と言うのでしょうか。
現代戦では、直ぐに効果の出ないような戦術をとるならば、ひとたまりもなく核弾頭の洗礼やトマホークの集中砲火を浴びて、もうそれだけで「一敗地にまみれて」一巻の終わりなのです。弁解の余地も与えられない、現代戦とは無情なモノですね。

「リフレーミング」という心理用語があります。経験したことや行動など物事の認知レベルの「フレーム」つまり枠組みを変えるための技法としても、ビジネスの世界に応用されています。その人の経験や行動の結果は、既存の枠組みを外して見ると、常にポジティブに捉えられたり、ネガティブに受け取られたりとアンビギュアス(両義的)な面を兼ね備えているものです。
しかし、私たちは、たとえばこの世の出来事を、フレーム無しにそのまま見ているわけではありません。必ずどんな事物や出来事も、何らかの意味づけを行って見ています。普通、私たちはそうした見方を先入観や偏見を持ってモノを見ている、というふうにいったりしています。
こうしたフレームを、一旦取り払って、事物や事象を素直に近きに遠きに渡って観察する。自らの観点を疑ってみる。そうしたムダをそぎ落とすように見つめ直す。そこから思考を再起動してみて、フレームの再構築を試みる。こうした過程で、アンビギュアス(両義的)な位相に辿り着くものです。こうした、思考過程と考証を欠いた論考は、考え抜くことを怠った、ただ単なるフレームワークと見なされても致し方ないでしょう。

例えば、よくビジネス誌で取り上げられるアフリカのとある新興国での靴市場調査の逸話があります。靴メーカーの営業マン2人が会社から命じられて、アフリカのとある新興国に市場調査に行った現地では、靴を履く文化風習が無く、全ての人が裸足で歩いている。
それを見た1人のセールスマンは「ここでは靴は売れない」と、靴を履く習慣が無い人々に靴の需要は無いと考える。ここでは、マイナスの意味づけがなされています。
一方、もう1人の営業マンは「この国は可能性のある市場だ」と、靴を履いていない人々に靴を履く習慣を根付かせることができれば、大きな市場になると考える。
ここでは、プラスの意味づけをし直すことで、現状の不利な場面をチャンスと捉え直すことができるのです。企業は、靴を履くことから来る安全性を啓蒙する活動をすぐにも開始できるでしょう。

もう一つの例では「親になつかない反抗的な子供」という否定的意味を「親に頼らない自立心の強い子供」といった肯定的意味に捉えることで、対象へのアプローチを二つの視点から展開し直すことができるのです。こうした思考例は、すべての事物や事象にみられるものです。ここにコップの水が半分あると、あと半分しかないと見るか、まだ半分もあると見るかで観点と考え方、その後の行動に明かな変化がでます。マイナスともプラスとも取れるアンビギュアス(両義的)な場面で、勇気を持ってプラスの観点を採用し、それを確実な行動や情勢好転の実現に導くことこそ重要です。この僅かな差が人生の質を大きく変えることがあります。

孫子の兵法の時代に現実味のあったような「迀直の計」も、現在では不利な条件や弱点をいきなり利(強み、長所)に変えるような戦術といっても現実味が薄いようです。そもそも不利な現場での挽回とは、ほぼ不可能といえるような情勢のことです。戦う前に勝負がついてしまっているようでは無駄な努力を強制するようなこととなり、人のモチベーションを故意に低下させてしまうだけです。この場合「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」の孫子の別の諺を思い出し、ゲームを一旦リセットしてから、まず「敵を知り己を知る」ところから始めなおさなければならないでしょう。
                               28「マイナスをプラスに転じる」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/02/17