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中国名言と株式紀行(小林 章)

第44回 四000年を学ぶ中国名言/「賄賂の大小が問題だ!」 

『魚を嗜む故をもって受けず(以嗜魚故不受也)』
                                   出典【『史記』循吏列伝】
[要旨]賄賂(受託収賄)が割に合わないたとえ。また、賄賂(わいろ)を断る巧みな方便のこと。
孔子の生国の春秋時代の魯国の宰相・公儀休のもとに来客があり、手土産として魚を持参してきたが、受取を頑なに辞退する。たかが魚ぐらいと思うかも知れないが、当時、魚は貴重品で、孟子の言では「二者択一の苦衷」(どちらを選択すべきかの苦しい思い)を表す比喩として「魚も欲しいし、熊の掌も欲しい」と魚を熊の手と同列に並べて述べています。宰相・公儀休は魚のお土産を持参した客に「どうしてですか。魚が大好物とお聞きしましたのに」と言われても、頑なに辞退し「だからこそ受け取れないのですよ。もしこれを受け取って後々あらぬ嫌疑をかけられたら、宰相の地位を追われて好きな魚が食べられなくなってしまうかもしれないじゃないですか」と理由を述べています。公儀休はなにやら自分の地位に恋々としているとも取れますが、宰相としては部下の不正にも厳しく、政務の規律を常に正す立場の人でもあったようです。従って、この言は、客の好意をおもんぱかって、贈り物を辞退するための方便と解釈されることもあります。

賄賂を送る習慣を悪く言う人や、遅れた国の制度だとその国の政治制度や法制度の未徹底だ、低民度だ、とばかりに馬鹿にする人も多いのですが、ソレは多分に誤解にもとづいた考え方です。
孔子の生きた古来の中国でも、日本よりは相当に開明的でした。一方では高級官僚に賄賂を送る習慣も盛んでしたが、他方、上記の宰相・公儀休のようにそうした習慣に対してキチンと襟を正したいと考える人もいました。
現在の日本のお歳暮やお中元だって「付け届け」と言うぐらいですから、賄賂の一種には違いがありません。お祝い事に包むご祝儀やご不幸に持参する香典なども、法にひかからない程度に、社会的に認められた礼節の一種として広く認知されているに過ぎません。まあ、日本は嫉妬社会ですから、賄賂をもらえない立場の人が腹いせに声を上げているといった面もあります。

法に抵触する程度の贈収賄とは、解釈に困る程度の贈り物ですが、本来法とは市民生活を妨げないための規則であり、慣習の執行をいきなり禁じたり制約する道理はないはずです。また、市民生活が不測の事態にある時に、法制だからと無理に執行しようという態度では何の為の法であるのか疑わざるをえません。世の中そうなりかけてやしませんかな。
官僚や政治家には公僕としての立場があり、許認可等の権限を執行する立場の役職人が特定の者の利益に与するような「利益供与」を行った為に法を犯し、処罰されるべきと考えられています。いわば賄賂とは、法制度の整備の不徹底や民度の低さを測る尺度で測るべきものではないのです。そこのところ、誤解の無きように。

すなわち、賄賂(わいろ)や、同じ意味ですが賄(まいない)、贈収賄とは、一般市民のレベルでは犯法犯罪を問われるべきものではなく、あくまでも社会的儀礼習慣として理解されてしかるべきものなのです。ある意味、社会での、詰まりがちなパイプの通りをよくする洗浄剤や機械の動きを滑らかにしてくれる潤滑油といった良い役割を果たします。

私が現在の妻と交際し始めの頃、妻は日中の血を半分ずつ受け継ぐ人でしたから、中国での生活の長かった義父は、まだまだ中国の習慣に凝り固まった方でした。その妻の実家に遊びに行く際に、儀礼としてのお土産を選びに旧知の高級チョコ店で詰め合わせを選ぶことにしましたが、私の強く推すチョコの詰め合わせに妻は難色を示しました。当時は付き合って日も浅く、きっと妻も私の前で遠慮がちの拒絶的態度であったろうと思います。ですから、私もその高級チョコの詰め合わせを買えたのだと思いますが、妻の実家訪問後はしばらく何もなくて良かったのです。しかし、後日、妻が実家訪問時に、別件で些細な揉め事のような事があり、その義父の話のついでに「ところで、あんな物よこして来て」と後から私の持参した高級チョコ詰め合わせがケチョンケチョンに言われてしまいました。

その理由は、義父のチョコ嫌いやチョコ品質に問題があったのではなく、包みの小ささ自体に問題がありました。中国人は、往々にして包みの大きな贈り物に価値を見いだします。しばしば大きな贈り物こそ高価な物だとの認識があります。ところが、なんだ、お前のお相手は、俺にこんな小さい物を送ってきて、俺を小馬鹿にしているのか、という風にお話しが大発展していくわけです。「羮に懲りて膾を吹く」とは、将にこのことで、以後の教訓となりました。ことほど左様に、妻の兄弟姉妹間でも、両親への贈り物(=賄賂)の大小が親孝行の証のように毎年競い合われることになり、大いなる悩みの種となりますが、日本人の夫を持つ家庭はどうも夫に根気と根性が無く、早い段階から脱落してしまいがちです。

また、送った贈り物の器の大きさが、送った本人の器の大きさだと勘違いされても困りますから、正直に告白することに致します。すでに時効となっていることを期待しておりますが、例えば何年も前に○×デパートから義父宛にお送りしたカーデガンでしたか、購入後、店のサービスカウンターで包装の際に、店員の薦めに従わず一番大きいサイズ用の贈答箱を選択し、怪訝な目で見られるのも厭わず、強引に事を為してしまいました。しかも、私の記憶では一度や二度というレベルではありませんでした。今となっては後悔してもし切れるものではありません。妻の教示等の共犯が疑われているやに指摘がありましたが、あくまでも私の単独犯行だと言うことを強く申し述べたいと考えます。以上が、私の今回の贈収賄の偽らざる罪状であります。
                               22「賄賂の大小が問題だ!」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/01/24