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中国名言と株式紀行(小林 章)

第36回 四000年を学ぶ中国名言/「ヤクザと店子」 

『入るを量りて以て出ずるを為す(量入以為出)』
                                   出典【『礼記』王制篇】
[要旨]収入額をよく見定めたうえで支出額を決めること。
農耕の主流だった時代の、一国の宰相として行われる財政の健全化の基本を述べた言葉であり、五穀の収穫が確定した年度末に、毎年平均でどれだけの歳入(収穫高)があるかをあらかじめ正確に算出し確定した上で、次年度の歳出の予算額を決めるべきだと言っているのです。
また、唐代には楊炎が皇帝に両税制(夏と秋の二回に税を徴収する)の導入を上奏した際には「出るを量りて入るを制す」(先に支出がどれだけ必要かを算出し、歳出に必要な税収を賄う手だてを前と後で講じる)という為政者に都合の良い税制の導入根拠として述べられています。
日本では、徳川将軍吉宗の経済顧問であった細井平洲の「入るを量りて出るを制す」という言葉があるそうですが、出所は『礼記』のこの言葉だろうといわれています。しかし、時代が下って二宮尊徳の「入るを図りて出るを制す」や会社の社訓などでよく詠われる「入るを計りて出るを制す」という言葉では、意味は収入ないしは売上(入金)の最大化に努め、経費は最低限に抑える、との経済用法になります。

農耕を財政基盤とする近代以前の国家においては、農民の増産をいくら奨励しても、その歳入の大幅な伸びは期待できず、逆に天候不順などの影響による収量減といったマイナス要因の方が大きかったでしょう。従って、為政者側の歳入増の対応策の一つは、必ず苛税、則ち安易な重税や酷税策と決まっていました。
また、貧民とは、大概農民のなれの果てと決まっていて「貧」とは、お金(=貝)を分けるということですから、領主側と農民とが収穫物(=お金に相当)を、その力関係によって分配し合った結果、取り分が少なく生活に窮した農民が貧民の道に足を踏み入れざるをえなかったからです。

また、古来からの国盗り合戦は、土地および土地から生ずる五穀などの収穫物、また畜産物や交易の対象となる産物に経済的基礎が置かれていた関係で、その分け前を巡る領主などの権力者同士の争いでした。そこに富の大半が集中している限り、領土を巡る争いが繰り返されてきたのです。従って、痩せた未開の土地や砂漠地などは領土的魅力に欠ける点で、権力者の争奪の対象とはなりにくかったわけです。国の歳入基盤は、あくまでも安定が第一ですから、大半が確実な農耕の結果の収穫物からのもので、地代や税の徴収と称して収穫物の一部を召し上げたのです。

その土地に農耕民として居着いたのが先なのか、その土地をシマとして縄張りを主張した権力者の方が先なのか、とにかく土地の私有を主張するのが農耕民で、公有を主張するのが縄張りを言い張る権力者といった関係が見て取れます。これは紛れもなく、かつての店子とシマを仕切るヤクザ者の関係でもあります。すると税金とは、店子の上前をはねるショバ代のようなもので、いわば指定暴力団の組長に為政者としての聖人君主の心得を求めているのが古来より今日までの政治倫理(聖人君子之道)であるわけです。
ちょっと、乱暴な話で申し訳ありません。以下の話も乱暴な物言いになりますが、ものの喩えということでして、本当に悪意はありませんので、しばしお許し下さい。

人民中国の成立は、人以外の土地や資本、生産や流通手段などすべての生産に関わるものを一旦国有化して私有を禁じます。しかし、権力者と農民、乃至労働者の関係は維持されましたから、俗に言えばヤクザと店子の関係だけ残ったことになり、しかも一旦店子の側は身ぐるみ剥がされた上、金品は勿論家や地所、所有物一式取り上げられてから、公器という記号番号ラベルが貼られ管理手法が導入されて、ようやく手元に戻されましたが、戻された物は僅かで衣食住に供せられる最低限の物だけでした。店子(民)の側は、言われる通りに勤務シフト表が渡され使役(役務)を提供することで、権力者の側から一方的に定量の食い扶持を分配・提供されることになりました。店子の側に非が認められるわけでもないでしょうが、権力者の都合で、つけ入られる隙間は大いにあったことになります。

こうして見てくると、権力者の側には直ぐに暴力(武力)に訴えてでも、強引に脅し奪おうとする強欲で、かつ権力機構の仁義(規律)に忠実であろうとする心根があることが分かりますし、店子(民)の側では権力者にすり寄りゴマをすってでも個人の生活を有利に進めて、貧者や奴隷、はたまた犯罪者(思想犯や政治犯)に身をやつしたくないという保身と恐怖心が同居していることになります。一年の農耕や労役などからの収穫物(金目の物)をヤクザ(権力者)の側と店子(民)の側で分配しますが、分配の権限は権力者の側にあり、その比率は総量として常に権力者の側に有利でした。それでも店子(民)の側は周りの境遇を見渡しても、身分や配分に差が見られませんでしたから、命あっての物種で、お互いを慰め合い、我慢もできました。

今では、経済力が武力に取って代わることになりました。というのも、食糧でも、資源でも、素材でも、設備でも、はたまた頭脳(人材)でも、高度技術でも、お金があれば、武力を持って奪わなくとも、すべてを手中に収めることができるようになったからです。従って、現在の権力者は経済ヤクザに変貌を遂げてしまい、店子(民)の方にも定職と定期収入があてがわれて、少しはお零(こぼ)れが回ってくるようになっています。

大きな財源を産んだ原因は、権力者が店子(民)から一旦無償で取り上げた公有財産に拍売(公募入札)で値段を付けて貸し出すことにしたからです。店子(民)からタダで取り上げた物を、店子(民)に返却するのではなく、良い値段を付けて、外国の大金持ちに貸し出し、店子(民)からショバ代を徴収する変わりに、海外事業を目論む別の金持ちから賃料収入をせしめることにした訳です。こうした錬金術の過程で、無から有を産み、権力側は国富を増やし、他人のお金で、店子(民)に定職と定期収入をあてがうことができ、役務費や付加税までも頂ける仕組みを作りました。知恵者の企み以外の何者でもないでしょう。
                                     18「ヤクザと店子」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/01/08