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中国名言と株式紀行(小林 章)

第25回 四000年を学ぶ中国名言/「貧乏考」

『一簞の食、一飄の飲、陋巷に在り(一簞食一飄飲、在陋巷)』
                                    出典【『論語』雍也篇】
[要旨]清貧に安んじて学の道にいそしむこと。
「一簞(たん)の食」とは、竹で編んだ米飯を盛る器一杯のご飯のことで「一飄(ぴょう)の飲」とは、瓢箪を割って作ったお椀一杯の汁物のことで、極めて粗末な食事の喩え。
「陋巷(ろうこう)」とは、路地裏のあばら家のことで、孔門十哲の一人で、孔子が最も愛し信頼を寄せていた弟子の顔回は、そんな清貧生活のなかでひたすら学問に勤(いそ)しみ、道を究める楽しみに没頭していたと言われています。孔子はその姿を讃えました。

30歳そこそこで、孔子に惜しまれつつ夭折した弟子、顔回という人は、単なる清貧の士というより、「貧」でありながらも「貴」であった人です。また、その見識の高さは「一を聞いて十を知る」と言わしめるほどでしたし、その話を聞いた師である孔子でさえ「顔回には及ばない」と答えさせるほどでした。また、顔回が「怒ってもあたり散らさず」「間違いを起こしても二度と繰り返さない」のを美徳として孔子が賞めているのは、孔子自身が周囲に当たり散らしたり、たびたび過誤を犯すことを悔いていたからかも知れません。

顔回には身体的に劣ったところがあり、逆に学問に情熱的に打ち込み、師に対して疑いもなく心酔する一方、文学青年的なみずみずしい感性に秀で、芸術家肌の神経質な面が顕著でした。
いつの世にも多才ではあるが、身体的境遇に恵まれない青白い顔の青年がいるものです。
そして、いつの時代でも暖かい境遇からは遠く、かといって世を儚んで落ち込むこともなく、ひたすらに高い精神的境地に迫ろうとする若者がいます。だからこそ、こういう人の生き方は貴いし、希な求道者として古来より凡庸な人々の尊敬と支持を集めてきたのです。

日本では日々の生活費にも事欠き「食わねど高楊枝」のような浪人的な武士の「清貧」が良しとされ、中国でも文化大革命下では、国家がすべての私有財産を奪い「持たざる者の平等」が徹底されました。孔子の唱えた「少なきを憂えず、均しからざるを憂う」が政治のスローガンでもありました。
元来ひとは「衣食たりて礼節を知る」わけですから、貧乏な世の中では、取り乱す者も多くなります。そうすると、時の為政者はどうしても、それに先回りして、決起にはやろうとする者の気を逸らし、衆愚の反発を押さえ込むための国民総動員運動が必要になるのです。

20数年前に、工場に求人のためにやってきた中国東北農村部の若者が、その後よく田舎から手紙をよこしてくる時期がありました。内容は、農村でのしょっぱい漬け物だけのおかずで食事をする様子が記され、就職を希望する旨が切実に綴られていました。今では、同じ人が突然携帯電話やメールで、給与額を巡って交渉してきます。田舎に自分の家を新調したいがために、先に数ヶ月分の給与の前渡し金が欲しいようです。
就職活動にも、貧乏な時代には貧乏なりの訴求の仕方があり、多少豊かになりかかれば、それなりの欲求を満たすための活動目標の実現の仕方が表出してきます。

「欲しがりません、勝つまでは」といった強制された清貧や等しく貧乏であることが常態である時代は、人々の日々の自活目標も育くまれることもなく、目の前の瑣事ばかりに気を取られ、当然良い時代とはいえません。平等が良いように言いますが、それは法律上で権利が補償されていればよいことで、その条文を織り込むために人類は永きに渡って時の権力と戦ってきたのです。ことは、それで必要充分で、ひとの権利や機会が妥当と思われるほど補償される社会になってしまえば、後は錦の御旗で、平等など現実生活には何の役にも立たないものです。何かうまくいかないことがある場合に、何で俺だけ差別されるのかとまわりにあたりちらしたいだけだったり、皆が貧乏なあいだは誰しもへだたりなくつきあうので、持たざる者の平等ということが成り立つ場合があり、良い時代だったなァと懐かしくなるのです。

思えば、貧乏に、窮乏状況に応じて清貧や赤貧の段階があるといいますが、自ら進んで貧乏を選択するようなことは希でしょう。たまたま、クジ引きで運悪く当たってしまったもののように感じる人が多いのではないでしょうか。その理由は、単純で、最初から籤(くじ)のなかに当たりが少ないからです。スカを引くのを「貧乏くじ」と言いいます。
「貧」という字は、お金(=貝)を分けると書きますが、農耕時代に限られた土地にできる限られた収穫を分け合ったので、取り分が少ない結果の帰結でしょうから、その取り分を巡って領主が多く取れば、当然に民(百姓)の取り分が少なくなって、結果取り分は行き渡らず、生活が窮乏する者の方が多くなります。籤とまったく同じ仕組みです。

一方、近代的な工業社会では、限られた土地でも、世の中の需要を満たすまではほぼ無制限に、多くの製品を産み出すことが可能となりましたから、当然その分け前自体が増えますから、国内の富(パイ)の増大に繋がり、貧富の格差は目立つようになりますが、何らかの形で富の再分配も隅々まで広がりますから貧乏の比率も薄まっていきます。
すなわち、窮乏状態は次第に切り上がり、赤貧(極貧)だった者は清貧に、清貧は未富へと、階段を上っていくことになるのです。
しかし、そこから先が難関です。現在中国では「未富先老」といえば、未富者が生きている間に富むことができずに、先に老いてしまうことを言います。
                                                                 13「貧乏考」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2012/12/19