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中国名言と株式紀行(小林 章)

第24回 中国・天津にて/中国株日記 (11)

【NO.12】中国、天津にて(11)
今回は「月光族」について、書いてみます。

「月光族」の「光」は、中国語では、余さず使い尽くす、と言うような意味があります。
 
かつての、日中戦争で、日本軍は「三光」作戦という、戦略を中国で実行に移しました。
私などの世代では、歴史教科書で辛うじて聞き覚えのある言葉ですが、意味は「奪い尽くす」「殺し尽くす」「焼き尽くす」という三つの作戦のことでした。すなわち、不都合な証拠を残さず、中国東北部から中国主要都市、さらに内陸部に進行する時に、日本軍が執った作戦でした。

忌まわしい過去は、過去として記憶に止めて、以後の教訓とすべきですが、当事者同士の真剣な議論と相互の理解、利益を見据えた論議でないと、単なるののしり合いに陥るだけになってしまいます。

まあ、それはさておき「月光族」です。

この言葉は、現在の上海などの高学歴な外資企業などに務める若者を中心に、言われ出した言葉です。
すなわち、そこそこ以上の毎月の収入があり、西欧文明を手本に、自らの価値観に基づき、日々のクオリティの高い生活を維持したり、趣味に興じたりするために、その収入を毎月使い果たしてしまい、貯蓄に価値を見いださない若者たちのことを総称して、こう呼称したのでした。

彼らの生活スタイルは、明るい側面と退廃的な側面を、同時に備えています。しかし、こうした行動原理は、若者特有の、現在の中国の大勢の価値観に対する、反抗や抗議を意味するもののようにも受け取れます。

 
なにか、こうした傾向は、大都市の若者が浮かされた熱病のようにも見えますが、既に広く底辺層にも、消費の喜びは伝染しつつあります。

このところの中国の消費者物価の伸びは3%を超えたところに、移りつつあります。国が豊かになる過程で、必ず国内消費の伸びが加速していく傾向があります。
中国も、これまでの外資の投資と貿易黒字に牽引された経済成長から、国内消費の伸びが、やがて国内の経済発展を引っ張っていく時代に突入して行きつつあるのです。

 
私の天津の食品工場の従業員達の中にも、月給日から次の月給日まで待たずに、1元も無く使い尽くしてしまう傾向の若者が多数います。特に男の子は、この傾向が顕著です。

こうした現象は、数年前では考えられないことでした。
 
田舎から稼ぎに来た従業員達は、十数年前は、例外なく給料日やその翌日には、天津の郵便局から親元に大部分の給料を送金したものでした。

しかし、今ではそうした親孝行の従業員は例外になりました。まず、親の方から「稼いだお金は自分で管理しなさい」というように、なったことです。それから、従業員達にも、理由があります。まず買い物、次に携帯電話です。
 
女の子は、自分のおしゃれにお金を使うようになりました。男の子は、仲間との親睦をはかるための飲み食いや賭を伴うトランプ等のゲーム、仲間間のお金の貸し借り、インターネット・カフェでのゲーム等での散財で、いくらお金があっても足りません。
 
しかし、最大の散財の原因は、携帯電話です。中国では、携帯電話は、かけても受けても、すなわち発信でも受信でも課金される仕組みになっています。コミニュケーション好きの中国人は、まだメールではなく、その場の臨場感を楽しむ会話が中心です。インターネットでも、メールではなく、チャット(IMという)が大人気(主流)です。

こうして、ハードワークで稼いだお金を、自分たちで好きに散財出来るようになった、いわば「消費の甘い密や誘惑」を享受出来るようになった中国の未来は、ますます消費型の社会に突き進んで行くことになるのでしょう。
2007/07/12

[コメント]①
携帯電話は日本も同じような問題がありましたね。
携帯にお金をかかり、カラオケとかプリクラとか若者が牽引していたものへの消費が減るというような。
日本ではだいぶ料金もさがり定額通話もでてきたことで、それなりに他へまわせるお金を捻出することがしやすくなったのかもしれませんが、中国では、受発信に料金がかかるということで、お金はいくらあっても足りないのかもしれませんね。

 

注)この記事は、過去のものからの再録の形で転載させていただいております。時事的に古い話題が取り上げられていますが、内容的には時間の風雪にも耐えられるものと思い、取り上げさせていただいております。

また、記事にコメントやコメントに対する私からの返答が付属されているものもあります。 

2012/12/17