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中国名言と株式紀行(小林 章)

第13回 四000年を学ぶ中国名言/「中国的大発展の模式」

『過ちては則ち改むるに憚ることなかれ(過則勿憚改)』
                                    出典【『論語』学而篇】
[要旨]間違い、過ちは素直に認めて、ただちに改めることが大切だ。
孔子の「過ちを改める」際に求める態度とは、憚るなという強い決断を促す始末の付け方自体にあります。則ち、あれやこれやの言い訳やプライド、自己保身の事など考えず、躊躇無く、きっぱりと、潔く、過ちを改めるのに余分な時間を費やすものではないと、説いているのです。

「過ちを改める」ことは、やさしいことではありません。
中国でも、古来より過ちを簡単に認めたり、改めたがらないひとが多かったことを意味します。特に、重責を担う立場の人が、幾多の指摘を受け、仮に自ら過ちに気付いたとします。しかし、滅多なことではその過誤を率直に認めたり、公表に至るケースは希です。迅速かつ適切に改善を加えようとしなければ、大変な事態に発展する場合もあります。さてさて、困った、どうするか、です。

中国で「創新」とは、新アイデアや工夫のことです。何とか有効な創新術はないものか?
スピード感を持って、過ちを改める良き方法とは、仮説に基づいて、まず小さく試行実験を重ねてみることです。理科の実験法です。中国の指導部層には理系に学んだ人が多いのです。鄧小平氏の言ったとされる「黒い猫でも白い猫でも、ネズミを捕る猫は良い猫だ」の言葉も、理系の人の合理性だと理解できます。

小さくやってみて、うまくいけばよし。どこかに問題があれば、改める。失敗であれば、影響の少ないうちに止められる。首尾良く成果が得られるようであれば、もっと大胆に、大きく拡げる。
これが、鄧小平氏らの「改革・開放」の要諦でした。

私はもともと文系志望で、現在では理系文系が切り離されて、教育課程が進行するように組み立てられていますが、孔子の生きた時代には文系も理系もなかったはずです。
とすれば、孔子は案外に理系に強い実際家としての頭を兼ね備えていたのかも知れませんね。
また、孔子は富やお金に執着する態度や人を快く思わない言動も目立ちました。しかし、それは富を産む殖産法や理財法に疎かったからだ、とは言い切れません。富国殖産は国家の要諦であり、多くの弟子のうちで誰がその才に秀でていたかを、ちゃんと知っていました。

お金のことを取り上げたり、富を論じたりすると、必ず眉をひそめる日本人は多いのですが、中国では事情が些(いささ)か異なります。江沢民氏が米国のあるIT長者を人民大会堂に迎えた時に、彼は「この方は、お金儲けの上手な、大変立派な人だ」と褒めたとされます。そのIT長者が、それしか褒めようが、どこにもなかったからかもしれませんが、現在中国では人格者とほぼ同等の扱いを金持ちは受けているという事実があります。

また、個人や良い事例を取り上げて、大宣伝するような習慣や場面に出くわします。かつての人民に奉仕した「雷鋒に学べ」や「農業は大寨に学べ、工業は大慶に学べ」などのスローガンが思い出されます。それは、ある特定の個人や寒村に対する個人崇拝や政治的利用のように見られがちです。日本人なら、つい個人崇拝や政策公約礼賛だと危険視しがちだし、独裁国家のマイナス面の表出だとの意見を述べる人が必ず現れます。

そうした見方が、片面的なのはすぐにお分かりいただけるでしょうが、そうした見方とは関係なく、中国には、先程来から述べているように、小さな良き個人や優れた事例から学び、大きく育て発展させるべき、との姿勢が中国人に理解されやすい側面があるからです。
                                                        7「中国的大発展の模式」

 

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2012/11/25