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小さなビジネスパーソンの小さな話(門間啓)

第173回 社交辞令

出身地が違うとこんなに物事の捉え方が
さかさまなのか、と驚いた例を一つ。

Aさん「まったくも~。社交辞令を
真に受ける人がいるから、うっとぉしい。」

えー!!
驚いてしまいました。
下町育ちのわたし(たち)は
「思ってもいないことを言うもんじゃない。
口先だけのおべっかやお愛想は卑怯者だ。
社交辞令なんて言うヤツは信用できん。」
という価値観の中で育ってきました。

目の前のAさん(神戸出身)が
「社交辞令」をいうのもびっくりだし
それを悪びれずに言ってしまうのもびっくりだし
ましてや彼女の言葉を
真に受ける人を非難しているのもびっくりで、
トリプルびっくりでした。

Aさんには試しに
「それは……社交辞令言わなければよいのでは?
どうして社交辞令なんていうの?」聞いてみました。

「そりゃ、社交辞令なんだからいいますよ。」
との返答でした。

その後の彼女との会話や
他の関西圏の数人にリサーチした内容から
私なりにこの事象を分析した結果、、、、、

為政者が変わるたびに、
それにあわせて家族を守っていかなくては
ならなかった歴史の中で、
「思ったことを素直に言う」
「心にもないことは言わない」
という姿勢は非常に危険だっただろう。

ご近所の人や知り合いに会ったら
あなたに関心があるんですよ、
あなたと仲良くしたいんですよ、
というアピールをしておくことが必要で、
そういう言葉かけもできない人は
配慮のない変わり者、
大人としての分別のない人、
と思われて、やりにくかったかもしれない。
自分や家族の身を守る上で不利になったかもしれない。

そんな中で何代も何代も暮らしてきて
(必ずしも本音でなくても)
「今度ご一緒に食事でも」と
予定を立てない言葉を交わしたり
偶然行き会ったら
「どちらまで?」「ちょっとそこまで」
と声を掛け合ったりしたのでしょう。

そういう文化の中で
大人としてのたしなみと思われている
社交辞令を言わなかったり
言われて真に受けたりしては
あきれられてしまうのでしょう。

「そりゃ、社交辞令なんだからいいますよ。」
という言葉が徐々に理解できてきました。

そういえば、高校時代(同級生は東京圏)までは
「今度遊ぼうよ」がたいてい実行されていたのに
大学時代(同級生は全国から)からは
「今度遊ぼうよ」が実行されないケースが増えて
(約束を実行しないままでは、不誠実な人と
思われる、、、言った以上は実行したい)と
積極的にスケジュール帳取り出して
日時確定しようとしていた私は
社交辞令文化の人たちからは
こっけいに見えていたんですね。

2006/02/12