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夫は日本、私は上海(伊勢利子)

第2回 子どものころからの夢!

子どものころからずっともっていた夢!
それは日本以外の世界を見てみたい。
どこか外国に住んでみたいというものでした。

私がまだ小学校低学年のころ
自分から進んで近くの修道院に
英会話を習いに行ったのを覚えています。

修道院とは?そう!あのおごそかな雰囲気の修道院です。
よく映画に出てくるあの制服姿のシスターから
週に1回、英会話を習いました。

そのころは何を習っていたの?
と聞かれても、もちろん全部忘れてしまいました!
でも、いまでも強烈に覚えているのは
その欧米人のシスターのこと!

すごーく清潔感が漂い、そばにいると
なんともいえない、いい匂いがしたんです。
そして、なんだか、やさしくて、とってもいい人なんだなぁ~
というのが、ひしひしと伝わってきたのです。

小学校高学年になると、英語を使って
まだ自分の名前くらいしか書けないのに・・・
海外との文通をやってみたくなりました。

ラジオの基礎英語テキストの後ろに書いてある
ペンフレンド求む!のコーナーから、よさそうな
もちろん男の子?を選んで手紙を書こうとしました。
でも、まったく英語なんて書けないので
苦心のすえ、辞書丸写しの手紙を書くことに。

エアーメールを投函してからというもの
返事が楽しみで、郵便屋さんのバイクの音を
いまか、いまかと待ち望んでいたのを
きのうのことのように思い出します。

そこまでは、よかったのですが・・・
それ以後は外国や英語に対して
あまり興味を抱かなくなり、いまから思うと、
いったい何をしていたのかしらん?という感じです。

一つだけいえることは、期待に胸膨らませて受けた
中学校の最初の英語の授業が、
まったくつまらなかったという覚えがあります。

もっと英語を熱心に勉強していれば・・・
ゆくすえは、あこがれの外交官か海外駐在員?になれたかも・・・
でも、そんなことはすっかり頭の中から消えさっていた
のんきな楽しい中学・高校時代でした。

次の転機は18歳のとき!
このときに強烈に英語が話せない
という困難な環境に遭遇したのです。

2006/08/18