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夢の上海(チャイひめ)

第31回 私のイーハトーブ

「夢の上海」というタイトルのコーナーですが、3回にわたって奈良のことを書きました。
私の異常なまでの上海好きは皆さんのご存知の通りですが、
上海に出会うまでは、今の上海と同じくらいの気持ちで奈良が好きでした。

上海と奈良は全く違ったタイプの都市です。
中国の発展の象徴、というようなきらびやかなイメージの上海。
どちらかというと地味で落ち着いた雰囲気のある奈良。

奈良の都というと、710年に建設された平城京の印象がありますが、
3世紀ごろ、大王(オオキミ)と呼ばれる人たちが近畿や西日本を統一し、
その中心地は大和朝廷、つまり奈良にありました。
各地で古墳が盛んに作られていた時代ですから、そうとう昔です。

それに対して、上海は歴史ある中国の中でも比較的新しい町。
長江の河口にあたる上海近辺は、6世紀ごろになってやっと陸地が形成されました。
寂しく貧しい漁村だった上海が、歴史の表舞台に立つようになったのは、
19世紀半ば、中国がアヘン戦争に破れ、上海が無理矢理開港させられてからです。

強いて似ているところを探すとすれば・・・
これは私の個人的な感覚ですが、
何かが潜んでいるような気がする町、というところでしょうか。

上海には得体の知れない魔物が住んでいるような気がするし、
奈良の寺院の物影には、昔の人の意志や息吹が潜んでいるような気が(私は)するのです。

また、奈良時代は特に聖武天皇の時代に、国を一つにまとめるため、
国の力をあげて仏教の布教に努めた時代でもあります。
仏教の教典や仏具、またその作り方などは百済や唐からの輸入でした。

私の好きな小説の一つに井上靖の『天平の甍』という小説がありますが、
これは奈良の時代の日本人留学僧が苦労して唐に渡り、勉学の後、
当時中国の仏教界でも権威であった、鑑真和上を日本へ招聘するまでを描いた小説です。
異国での苦労や使命への情熱など、胸を打たれることが多く、何度も読みました。

ある時、奈良の東大寺をいつものように歩いていました。
裏参道のちょうど大仏殿の裏手に「講堂跡」という史跡があります。

その名の通り、かつて講堂(お坊さんの勉学の場)のあった跡、というわけです。
今はただ、石の礎が野原に点々と残っているだけで、鹿の遊び場になっています。
広い敷地で、一つ一つの礎も大きなものです。
建設当時は、大仏殿と同じくらいの大きさであったと言われています。

礎だけが残っているというのは、まさにミロのヴィーナスのように、
(ミロのヴィーナスは両腕が欠損しているからこそ美しい、という意見があります。)
想像をかき立たせ、「歴史のロマン」を感じさせられるので、私の大好きな場所の一つです。

「奈良時代のお坊さんは、ここに昔あった講堂で勉強に励んでいたんだ。
『天平の甍』に出てた普照も唐を夢見つつここで勉強をしたのかしら。」
などとその日も思っていましたが、ふと直感が働きました。

今私は中国(上海)がすごくすごく好きで、奈良にももの凄く惹かれてる。
それでいて、講堂跡にすごくロマンを感じている。

もし前世というものが本当にあるのなら、
私の前世は奈良時代の留学僧だったに違いない!
こういう直感です。

さて、皆さんは「イーハトーブ」という言葉をご存知でしょうか?
これは宮沢賢治の造語で、「理想郷」「夢の土地(国)」という意味があります。
作品によりイーハトヴ、イーハトーボなどと若干違いがあるのですが、
現代の賢治ファンからは「イーハトーブ」と親しまれています。
(以下、宮沢賢治『注文の多い料理店』より引用)

イーハトヴは一つの地名である。しいて、その地点を求むるならばそれは、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスがたどった鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠のはるかな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。
じつにこれは著者の心象中に、このような状況をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。

宮沢賢治は心の中に、夢の国を思い描き、その世界での出来事を童話にしました。
その理想の土地は、目に見えない世界だけれども、
宮沢賢治の出身地の岩手に確かに実在する国だそうです。

私のイーハトーブは、確かに奈良と上海に実在します。


チャイひめALBUMより〜杭州・霊隠寺の石仏〜

チャイひめALBUMより〜杭州・霊隠寺の石仏〜

中国杭州の霊隠寺の前にある石仏の数々。霊隠寺には当時留学僧であった弘法大師空海が訪れたことが伝わっています。日中仏教界の友好の証として、お寺の境内には弘法大師の像もあるほどです。

2006/10/03