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散歩しながら(ぼうちゃん)

第76回 かえりみる

いまは、ものを書く人でも、
あまり本を読まなくなったそうで
他人に興味のない人が多くなりました。

生まれながらの文才で、
するすると書き、才能のある人は
それで文学賞を貰ったりしています。

小説のかたちをしていても、
文学とは無縁なものが、どんどん生産され、

ほんとうの文学の姿を知らない
人たちのもとに届いていく。

それを人は文学として、うけとめる。
そういうことになった。

こんな意味のことを
詩人の荒川洋治さんが言っています。


たとえば
私も下手ながら俳句を詠んだりしていますが

このことは俳句や短歌の
世界でもあることだと思います。

自分が句歌をつくることだけに興味をもち、
句歌をかえりみなくなったようです。

これまでの名句歌をそらんじたり、
しっかり文字に書き記すことのできる人は少ない。

かえりみないのは
おそらく自分が濃いのだと思います。

自分を評価しすぎている、
ということです。


自分を過剰に評価し信頼しすぎていると
そこからはいいものは生まれないのではないか。

自分への疑問と不安とがあるから
本を読み先達の歌をそらんじたりするわけです。


書くことだけではなく、
人のものを読むことが世界を作っていき、

そして何かが動き出す。

俳句を作っていての実感ですが、
このかえりみるということを忘れると
そこで停滞してしまいます。


よく武道や絵画などの習い事で
初心に帰れと言いますが、

何事においても
カエリミルことが大事な基本なのです。

2011/08/27