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散歩しながら(ぼうちゃん)

第72回 これでいいのだ

ツイッタ-には少し距離を置いています。
何となく感じることがあり中止していたら
養老猛司さんがこんなことを言っていました。


ツイッターに慣れてくると、
最後は、瞬発的な悲鳴の連続になっていくんですね。

で、圧倒的にそっちが強いんですよ。
何かをしゃべろうとする人は
そこに嫌気が差しちゃうんです。

悲鳴に巻き込まれて。
これは気をつけなきゃいけないな、と思っています。

悲鳴に巻き込まれず自分のことを喋ろうとしたら
そのカギはなんだろうなと考えたけど、
それをつなぐのはアートなんですね。

ちょっと、ゆっくりツイッター的な悲鳴から
一回、距離を置こうとしてるんです。

 

日頃私が何となく感じていたことを
さすがに養老さんは上手く言葉にしてくれました。

私のある友人はツイッタ-から離れて
自分のブログにだけに書き込んでいるのも
こんな感じからだろう。


また友人の一人の女優は極めて繊細のため
震災以来、心の芯に大きな傷をつくり
穴倉に入り込んでしまいました。

長い沈黙があって、ある日突然、

花が咲いたよ

ひと言だけ台詞を言って久しぶりに顔を出しました。
さすが女優らしい登場です。


ある人も同じように自分の世界に
深く潜行してそこからいま
ジッと世界を見つめている状態です。


私は俳句や川柳を
つぶやきたくなったときだけ

ちょいとツイッタ-にお邪魔するという
まことにどうも調子のよいやり方で、
距離を置きながら要領よくやっています。


文芸の領域のことだけをやっているわけですから
これでいいのだ、と思っています。

2011/08/09