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散歩しながら(ぼうちゃん)

第67回 お先に失礼

心の底から絶望したら
はたして自分はどうするだろうと、
のんきな私でも時には考える。

ましてや3・11からこっち切実に。

 

絶望した自分をそのまま入れてしまうのに
便利な方法のひとつは、やはり宗教でしょう。

宗教が無理ならば、何だろう。
もうひとつは家族だと思います。
親しい友も考えられるが
やはり無条件に受け入れてくれるのは家族のみです。

 

家族を失うことは世間でよくあります。
3・11を経験して分かったように、
そのようなアクシデントが前触れもなく
突然にやってくるものです。

地震や津波だけでなく交通事故や山の遭難でも。

人間はただ生きるだけではなく
家族との間で繊細な心を持つようになり、
人生の意味について考えながら生きています。

しかし、この心が我々の弱みにもなっています。
それが失われると生きる気力がなくなり、
「自殺」という本能に反する行為さえ見られます。

 


江藤淳という作家、評論家がいましたが
10年前に奥さんを病気で亡くし、
後を追うように自害して果てました。


その時の遺書です。


「心身の不自由は進み、病苦は堪え難し。
 去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし
以来の江藤淳は形骸に過ぎず。

自ら処決して形骸 を断ずる所以なり。
乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。
 平成十一年七月二十一日」。


痛切な遺書の文句に胸を打たれました。
あれだけ自殺や挫折を嫌悪し、

批判してきた人がいかなる理由があったにしろ、
自ら自殺するとは。
しかし、現実でした。


再び私は考えます。

心の底から絶望したときはたして
自分はどうするだろう。

宗教は無理だから、
頼みの綱は家族しかありません。

しかし何もかもカミサン任せの私が
江藤さんのように先に奥さんに逝かれたら
と思っただけで暗澹とした気持ちになります。

いずれはどちらかが先に逝くのですが
出来れば自分が先に逝きたいと
切に願うわけです。

もし向こうが後に残ったときは
それほど暗澹としないと思います。
たぶん。

イザとなったら私のほうが意気地ないと思います。
きっと。


江藤さんのような
格好良い遺書など書けませんから

鼻水垂らして居汚く晩年を生きるくらいなら
どうしたって先に逝かなくてはならないのです。

2011/07/23