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散歩しながら(ぼうちゃん)

第58回 わが町

死というのは未来からやって来るだけでなく、
過去からも追いかけてくるようです。

人は誰でも自分が死ぬ事を知っています。


その割には、それほど切迫していません。
しかし、忘れた頃にやってくるのが死の瞬間で

人が年老い、病気になり、死んでいくのは、
自然のスピードよりも速い。


季節の移ろいには順序がありますが、
死の瞬間は順序を待ってくれません。


これまで私がいいなと思った人はみんな
「人は死ぬんだよ」と声に出して言った人である気がします。

これまでいろいろな人と話をしてきたけれど、
日常会話の中にこんな単語を混ぜ込める人は少ない。

大概の人は、気がついていないふりをする
(まれに、本当に気がついていない人もいるのです)。


この言葉を口にするにはエネルギーが必要です。
日常的に死のことを考えていて、
しかもこなれていないと言えません。

 

友人の一人に新劇の女優さんがいますが
先だって彼女からソーントン・ワイルダーという作者の
「 わが町 」 という演劇本を教えてもらいました。


本当に普通の話なのです。
特別なことは何も起こらない。

人は青春時代を過ごし、恋愛をし、そして死ぬ。
基本的にはどこにでもある日常ばかりが続く。


だが、特筆するに値しないただの日常こそが
記録するに値する、とこの劇はうたっています。


「 わが町 」そこは千年先に向けたタイムカプセルであり、
これまで何千年も積み重なねてきた人類の記憶でもある
その場所とその空間は何百万もの
特筆に値しない普通の生活が、確かにあったのです。


この劇は、アメリカの片田舎、
どこにでもある平凡な町という、
一点を舞台にしていますが、
ここは、世界や宇宙に通じる場所なのです。


全然分からなかったわ。
  あんなふうに時が過ぎていくのに、
  あたしたち気がつかなかったのね。
  さあ、連れて帰ってください――あたしのお墓へ。
  でもその前に! もうひと目だけ。 さよなら、世のなかよ。

 

「 わが町 」が言いたいのは、
「今を生きろ、死を思え」という一言に尽きる気がします。

人は死ぬものです。
多くの人が忘れていることですが。

2011/06/21