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散歩しながら(ぼうちゃん)

第49回 たいしたものです

人の役にたつ、人の手助けをする
ということは大変難しいことです。

 

そのときに気が向いたとか、
その気になったら、まあ助ければいいし、
気が向かなかったら助けなけりゃいい。

それだけのことなんだ。
善い悪いの問題じゃない、
と。

これは親鸞という人の言葉です。

 

ですから私が友情のつもりで
友が困っているから手を貸すのだ。

また友情というのは
自分の相手に対する気持ちなのだから
こっちから向こうへ一方的に
与えてしかるべきものだ。


なんて分かったようなことを言えば、

いい気なもんだ、
格好つけたことを言うんじゃないよ、

アンタ何にも分かっちゃいねえよ、と
親鸞だったら
こっぴどく怒るに違いありません。


実際
最後まで押し通せなかったらやさしさではないのだし
途中でくじけるなら悪人になればいい。

やさしさは根性。
というところですかね。
中途半端なことはしないほうがよい。

 

若いときは世間的、社会的に
通用しない時期だからこそ、

錯覚でも
友人を心から分かったという
気分になれますが、


歳をとると離れ離れ、
どうしようもなく
別々のものになってしまいます。

 


私の叔父はもうとっくに死にましたが
幼なじみと八十歳になるまでお互い元気で
最後まで仲良く付き合っていました。

 


ずい分長いこと付き合ってきたなあ、
これから何年生きられるか分からないが

まあこれからもよろしく頼むわ、

と二人で縁側に腰掛て
笑い合っていたことを、
私は憶えています。

 

叔父たちはおそらく
生きているあいだ

気の利いた
友情、
などという言葉を
使ったことなんかないに違いありません。


しかし、
文句なしに二人は
宝物のような友であったわけです。


本当にたいしたものです。

2011/05/16