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散歩しながら(ぼうちゃん)

第38回 沈黙

僕は言葉の本質について、こう考えます。
と吉本隆明という人が言っています。

自分が心の中で自分に言葉を発し、
問いかけることがまず根底にある。

言葉はコミュニケーションの手段や機能ではない。
それは枝葉の問題であって根幹は沈黙です。
 

沈黙とは、
自己が自己と問答することです。
自分が心の中で自分に言葉を発し、
問いかけることがまず根底にあるんです。

友人同士でひっきりなしにメールして、
いつまでも他愛ないおしゃべりを続けていても、
言葉の根も幹も育ちません。

それは貧しい木の先についた、
貧しい葉っぱのようなものなのです。

本質は沈黙にあるということ、
そのことを徹底的に考えること。
僕が若い人に言えるとしたら、それしかありません。   

 

何ともみごとに言葉の本質を捉えていると思います。
この通りですね。
やはり、まず自分に発することが大事。 
心の中で、自分に言葉を発しているということ。

私は自分が子供の頃から
話すことが苦手で感情表現をするとか
自分について語る
ということが上手くできませんでした。

ですから吉本さんの言葉は身体感覚で理解できます。
こころに沁みてきます。

自分の思いを確実に表現しようと
すればするほど思いの核心から

離れていってしまう焦りがあり
ますます黙りこくるか

いまの子であるならむかつくことになります
自分に対してむかつくわけだけれど

人から見れば相当イラついていただろうと想像できます

現代の若い人は
感情表現が下手で
二つの言葉以外聞いたことがないと
大人は言います。
「むかつく」と「かわいい」しか言わないと。

若者に加勢するわけではありませんが
心身のアンバラスな年頃に
自分を語るのにつねに
語り足りないのは仕方がありません。

 

言葉による完全な表現を断念した人間だけが、
豊かな言葉を獲得してゆくことができるんだよ。

こんなことを言ってくれる
大人がいたらさぞかし気が楽だったでしょうが

自分の思いを過不足なく
言葉にできるなんてことは
若いときにはありえません。

しかし、世の中は言葉をよく知り
よく使える能力を持っている人が
人から偉いと思われているし
それが統率者になります。

しかし、本当にそうなのか。

吉本さんは、さらにうれしいことを言ってくれます。

人間らしさは、
文章を書くのがうまかったり、

話し言葉が巧みで要領を得ていて、
人をわかりやすく納得させることができて、

多くの人を集めることができるとか、
そういうことによって決まるのでしょうか。

そうじゃないはずです。
人間らしさは、そういうことじゃありません。

そしてボクの勝手な解釈ですが
と、ことわって

言葉というものの根幹的な部分は
なにかといったら、
沈黙の中にしかありません、と。

言葉として発していなくても、
口の中でむにゃむにゃ言うこともあるし、

人に聞こえない言葉で言ったりしていることがあります。 

そういう「人に言わないで発している言葉」が、
その人の根幹なのでしょうね。

地震、津波、原発から
いま日本人の多くが沈黙しています。

日本人として目覚めることが出来るのか
また再びあの空虚な喧騒のなかに帰るのか
正念場です。

2011/04/12