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散歩しながら(ぼうちゃん)

第28回 恥ずかしきことの数々

与謝蕪村といえば

俳人のなかで松尾芭蕉と同じくらいに
学校の教科書にも出てきた有名な人です。

不二を見て通る人あり年の市

…年の瀬の慌しい江戸の市で、
自分だけ別世界にいるように
富士を見ながら歩く
孤独な蕪村がいます。

梅さげた我に師走の人通り

…正月用の梅をさげ独り静かに歩む蕪村に、
人々がぶつからんばかりに押し寄せてきます。

蕪村二十代の句です。

大阪に生れ、早くに両親を失い、
十代後半には故郷を捨てて独り江戸に出てきます。

若い頃の句をみても
蕪村はすでに周囲と相容れない
孤独な姿を漂わせています。

 

俳句と同時に絵画もよくし、
俳画という分野を最初に確立した人でもありますが
芸術家的気質はすでに若い日からあったようです。

 

江戸時代の俳人のことなどを
どうして取り上げたかというと

昔も今も若者の気持ちは変わらないものだと
感じたからです。

蕪村と比べるつもりは毛頭ありませんが
私も若い頃は、自分自身に常に不満を抱いていて

心の中に得体の知れない
焦りと苦しみがいつもありましたが

私だけでなく何時でも若者は
そんなものかも知れません。

二十代は悶々として晴れず、
先行きの不安を抱えていると思います。

まず無知の不安があります。

しかし青春の特権は、
無知の特権だとも言えるのですが
本人は気がつきません。

 

可能性いっぱいで
前途洋洋と大人に言われても

本人にはその実感はありません。

そして反対にいまどきの若えモンは、
と言われたり

劣等感と優越感が入り混じり
自分の感情をうまく
コントロ-ルできずにいるものです。

 

江戸の町を歩く青年蕪村と同じく、
渋谷の街をヘッドホンの
音楽聴きながら歩く若者たちも

内心は屈託して悶々として
不安を抱いていると思います。

 

宮沢賢治の有名な詩
雨ニモマケズの一節

アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

この「アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニ」
というフレーズは、
私がこの詩の中で、
最高に美しい心境と思う一言です。

このようにありたいと思いますが、
どうしても多くの私欲や我執というものに
縛られて生きているのが、
偽らざる私です。

いまでもこの体たらくですから
若いときは恥ずかしきことの数々
蒲団をかぶって寝てしまいたいことばかりでした。

2011/03/11