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散歩しながら(ぼうちゃん)

第27回 邱さんの人間観

邱さんが香港からやってきて
原稿を書き始めた頃

「濁水渓」

という小説が壇一雄さんの目にとまり
単行本出版に尽力してくれます。

 

壇さんは邱さんに、
君は十万円作家にはすぐなれるが
百万円作家にはなれないと言ったそうです。

 

その意味は
日本人は究極において
日本人たちのことにしか興味をもたないから

百万読者をもつ一流新聞に
大衆向けの小説は書けないだろうということでした。

 

また邱さんの書いた短編小説を読んで
これ一遍だけで小説を書いた意義がある

といってくれ邱さんは大いに勇気つけられ
その気になったといっています。

 

火宅の人壇一雄は、太宰治、坂口安吾に
続く戦後の破滅作家といわれていましたが

 

邱さんは壇さんのことを
本当は神経の細かい、よく気の付く
また学究的な面を持った人であるとみていました。

 

同じ東大経済学部の出身でも
君のは経済学部だが
僕は不経済学部だと

自分でいうくらい壇さんの経済観念は
まったく駄目だったようです。

 

邱さんが見るに見かねて
家族の生活が安定するように
庭の半分を使いアパ-トを建てる
計画を提案したら

文士がアパ-ト経営なんて
そんなみっともないことが出来るかと
断ったそうです。

 

そして邱さんは壇さんを評してこう言うのです。

自分を不安定の状態におかなければ、
すぐれた作品が書けるわけがないというのが
壇さんの信念だったようである。

 

そういう意味ではこれはこれで、
一本筋の通った見事な人生であると
いうのが私の偽らざる感想である。

 

私は邱さんの
先見性や決断力、果敢な行動力

すべてが魅力的で感じ入っていますが

壇さんに対するこの言葉は
邱さんの人間性がみごとに
現れていて出色です。

 

経済観念のまったくない人を
蔑んだり突き放したり
また賛意を表したりといった
レベルの目線からは見ていません。

 

経済観念のない人や
世の中の流れに鈍感な人に対して

邱さんは時折
揶揄したり、時には辛辣な言葉を
投げたりしますが

壇さんに対してはそれがありません。

恩人であり先輩であるということを
措いといて

文学者の生き方として認めています。
筋を通す人間の潔さに感応しています。

 

生涯書生

邱さんの色紙の文字のように

私は邱さんの文学者としての

矜持を感じます。

2011/03/09